設計によるセレンディピティ

"The most powerful force in the universe is compound interest."

数学の証明についてメモ

"科学の真理は揺さぶられるが,数学の定理として証明された事柄は,2000年以上たってもその真理としての性格が揺らぐことはない.
事実で検証できることをきちんと検証してきたこと,事実に合わない事を反証をあげて検証してきたことこそが科学の確かさを保証している.
証明はこのような「数学の真理の絶対性」を保証する手段と考えられてきた."

"現代数学では公理は「絶対的な心理」という立場を失い,「理論の出発点となる仮定」という意味になった.
したがって,現代数学的な視点で見れば,数学の定理とは仮定された約束(公理)から導かれる総体的な真実ということ.つまり

数学における証明とは

「こういうことを仮定すれば,理論的にこういうことを導くことができる」

という内容になった.こうして,

代数学的な立場では,証明とは

「仮定された命題から出発して,論理的な約束にしたがって命題をいろいろな形に変形して,定理と呼ばれる新しい命題を手に入れていく手続き」

という意味に変わった.

定理を導くための論理的に約束として何が許され,何が許されないのかははっきりと決まっている.
この経験的立場からは,証明とは正しい事実から出発し,新しい事実を論理的に手に入れていく手続きという見方は変わっていないと思われる."

演繹論理 「Aである.AならばBである.したがってBである.」

帰納論理 「Bである.AならばBである.したがって多分Aだろう.」

帰納論理は論理的には推測でしかない.
これが自然科学の実験における論理.
数学ではこのような実験科学の帰納論理は使うことはできない.

数学的帰納法 「P(1)である.P(k)ならばP(k+1)である.したがってP(n)である.」

数学的帰納法は,いわゆる帰納論理とは違い,純粋に自然数の構造に依存した演繹論理の一種 数学用語としての,"ならば"は時間経過を含まない.
"ならば"という言葉は日常経験では因果関係を表す.
因果関係である原因と結果は,常識として,原因は結果の前にあり,時間経過も含んでいることに注意. 記号論理用語の"ならば"は数学として因果関係を表さなくてもよい

"あるいは"は日本語としても時間経過を含んでいない.

背理法

背理法の基本は,結論を否定し,矛盾を出す.
背理法は,すべての言明Aについて,「AかAでないかのどちらかだ」という2分法に立脚している. 無限を相手にした証明には基本的に背理法のスタイルを取らざるを得ないものがたくさんある


以降,『これはすごい!数学が使える人の問題解決法』第4章に書かれていた背理法についての内容だが,個人的に少し考える必要を感じている.


背理法を現実に使ってはいけない.背理法の考え方が「排除の原則」にもとづいているから.
数学の論理では真か偽かの2つの場合しか考えないが,現実の世界ではそうはいかない.
数学の論理的な発想を単純に現実世界に使うのは適切ではない.
日常の会話で背理法を使う人がいたら気をつけなくてはならない.背理法のような強力に見える証明法でも,その得意な範囲が決まっている.


参考文献

1) 瀬山 士郎:『なっとくする数学の証明』講談社, 2013.

2) 柳谷 晃:『これはすごい!数学が使える人の問題解決法』丸善, 2005.
これはすごい!数学が使える人の問題解決法

これはすごい!数学が使える人の問題解決法