設計によるセレンディピティ

"The most powerful force in the universe is compound interest."

NHK Eテレ「世界の哲学者に人生相談」第7回「“死”“死別”特集」

「死の恐怖や不安をどうすれば?」Aさん(30歳 男性),Bさん(18歳 女性)1

古今東西の哲学者達は「死」について考えてきた歴史がある

古代ギリシャの哲学者エピクロス(紀元前341-270)

心の落ち着きを快楽と考えたエピクロス我々が存在するとき死は存在せず 死が存在するとき 我々は存在しないという.

死は生きている間,わからないこと.なぜ死んでからしかわからないことを生きている間にあれこれ想像するんだ?本当の死と,自分が思ってる死は違うはずではないか,と考えた.

20世紀ドイツで活躍した,人の存在を問う"死の哲学者"ハイデガー(1889-1976)

人間の存在について考えた哲学者で,人間は死ぬ存在だから必然的に死に結びつけて考えた.

ハイデガー死を意識するからこそ人生は輝くのだと述べる.

ハイデガーは人間は死に向かう存在だという.

だからこそ,死をあらかじめ覚悟すれば人は本気で生きることができる.


「自殺はなぜいけないの? 人はなぜ生きるの?」Cさん(20歳 女性)

18世紀ドイツで活躍した"生の哲学"の先駆者である哲学者ショーペンハウアー(1788-1860)は,『自殺について』の中で

自殺は真実の救済にならないという.

では,真実の救済とは何か?

ショーペンハウアーは,人が苦悩から抜け出そうともがいている状態を,心の手術が行われていると表現する.

手術が終われば,心の問題は取り除かれる.

しかし,もし手術に耐えきれずに自殺してしまったら,真の救済を投げ捨てることになる.

自殺=真の救済を捨てること

ドイツの社会心理学者で哲学者エーリッヒ・フロム(1900-1980)は,『自由からの逃走』で生きる意味を説く.

人生の意味がただひとつある それは"生きる行為"そのものである

人生の意味は頭で考えることではなく,"生きてる行為"そのものである.


「死別の悲しみと後悔から抜けられない」Dさん(49歳 男性)

明治から戦前にかけて活躍した日本を代表する哲学者西田幾多郎(1870-1945)

西田は,西洋の哲学と日本の思想を融合させたいわば日本哲学の父.

日本初の本格的哲学書善の研究』はベストセラーになった.

そんな西田哲学の動機は悲哀.

中でも,死別の悲しみに関して深い思索を行った西田.

西田幾多郎随筆集』「我が子の死」

わが子との死別体験から西田は
後悔の念の起こるのは 自己の力を 信じ過ぎるからであるという.

「後悔の念の起こるのは」は「苦悩するのは」ということ.

西田は気晴らしをしても,悲しみを忘れようとしてもうまくいかなかった.

人は「悲しみ」と「喜び」を比較してしまうことで苦悩する.

それは,西田の「純粋経験」(ありのままに経験するということ)という概念と結びついている.

純粋経験」を自己の力であれこれしようとするから苦しい.

では具体的にどうしたらいいのか?

西田は 折にふれ物に感じて思い出すのがせめてもの慰藉である 死者に対しての心づくしであるという.

慰藉とは慰めのこと.

西田は,悲しみを無理に抑えず「純粋体験」として受け入れ,死者を思い出すことの大切さを提示する.